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アフターコロナの大学教育とは【コロナ後の教育へ】

0.はじめに

コロナ禍で、教育関係はダメージを受けました。

もちろん、飲食、観光など、ビジネスとして非常に大きな

ダメージを負った業界も多岐にわたりますが、

教育の問題は、働く人と同時に、

教育を受ける側にも大きな問題に突き当たりました。

 

今回は、コロナ禍の大学教育を振り返り、

これからの大学教育を論じている本を紹介させていただきます。

 

この約1年半、大学生は非常に可哀そうな状況で、

ニュースなどでも多く報道されていたので、ご存じの方も多いと思います。

特に2020年入学の人たちは、ほぼ完全に大学1回生を

失ってしまったといってもいいでしょう。

「大学生が学校で授業を受けることは不要不急なのか」

と社会不信に陥る学生も多かったと言われています。

 

また、毎年、ノーベル賞の時期には、

大学の基礎研究力の低下を懸念する声が上がります。

長期的視野に立った研究はできなくなり、毎年の予算確保の為に、

すぐに成果が出やすく、話題になりやすい研究ばかり行ってしまう

弱点も指摘されています。

 

今回紹介させていただく書籍を通して、

これからの大学教育を考えることで、

広く「知」の在り方にも迫っていく、興味深い書籍です。

 

今回の目次です。

 

1.紹介する本

「コロナ後の教育へ オックスフォードからの提唱」(中公新書ラクレ

著者:苅谷 剛彦さん

著者の苅谷さんは、オックスフォード大学の社会学教授で、

教育関係の著書が多く、今回の著書の様に、

海外との大学の比較の観点も特徴的かと感じられます。

 

2.内容まとめ

イギリスでは、大学教育が、経済貢献効果をもたらす

国家戦略として考えられていること、

日本が目標としながらもできていない現実の提起から

本書はスタートします。

 

日本の教育制度の大きな振り返りからスタートし、

入試をはじめ、グローバル化の迷走、

日本の文系教育の特徴と話は移り、

終盤は、著者が近年に行っている教育コラムの振り返りから、

コロナ後の大学教育の在り方が論じられます。

一冊を通して、今の高等教育に関して、非常に興味深い意見が

論じられています。

 

また、著者は人文科学の重要性も述べています。

日本は、自然科学重視の傾向がありますが、

今回のコロナ禍のような未知のトラブルへの対処において、

人文科学の役割の大きさを海外との比較を通して、論じています。

 

単に教育論としてではなく、検証と考察の仕方に対しても、

非常に参考になる書籍だと思います。

 

3.感想とまとめ

コロナ対策に言及している部分もそれなりにありますが、

全般には、この数十年の大学教育の在り方に対する考察と、

改善点の提言を重ねている書籍になります。

 

序盤の教育政策・法制に対する検証の部分で、

法治主義の定義が個人的にはかなり参考になりました。

「法の支配」の対象が、統治者・権力者に向けられるのに対し、

法治主義では、「法を道具として」「一般市民」を「統治する」。

こうしたアプローチが法治主義である。(中略)

とりわけ法治主義の考え方を用いることで、

昨今、混乱を招いてきた教育改革=政策の原因を

知識社会学的に明らかにする。

法律のうち、決まりや罰に関する部分は理解が及びますが、

ねらいや目標を法律で考えた際の検証を

このように行うと効果的なことを知りました。

あまり長いパートではありませんが、非常に説得力の大きい

検証方法を述べている部分だと感じます。

 

全体を通して、大学教育と、大学の在り方、

それを通して、日本の教育全体の問題、

さらには日本の政治の問題と改善点にも考えが及ぶ

大変貴重な一冊だと思います。

 

逆に、ここまで問題と改善点は明らかなのに、

何も変わらなかったり、むしろ状態が悪くなり続けているのは、

何故なんだろうと感じさせます。

少し、私個人の感想も入ってしまいますが、

きっと

「大学に入ることが目的で、大学で勉強・研究を目的として、

大学に入らなかった人たち」

が、大学の制度を作っていくと、

きっとこうなってしまうんだろうな、と感じます。

 

著書内でも述べられていますが、

現在の大学受験制度は、日本の近代化と共に生まれ、

大学の受験が、資源の乏しい社会が、優れた人材を選ぶための、

一種の能力測定となってしまい、(中略)

入学試験と立身出世のルートとが合体した仕組み

(中略)後発型近代化の産物であり、そうした近代化を可能にする

人材選抜・育成の制度であった。

この制度設計の中で育ち、勝ち抜いた人が運営する行政組織になりますから、

これを変えるのはかなり難しいだろうな、と感じます。

 

このブログで、認知バイアスの書籍は複数紹介させていただいていますが、

認知バイアスの中には、「生存性バイアス」という心理作用があります。

簡単に言うと、自分たちの成功パターンからは抜けられず、

他の人にも、そのパターンを至上として思考を組み立てるという心理作用です。

 

少し前だと、自身が成功したアスリートの場合、

当時の自分のトレーニング方法を至上としてしまい、

それ以降、科学的に不合理とわかったことでも、

無視してしまうこと、などがその思考にあたります。

具体例だと、アスリートのトレーニング時に水を飲ませないことや、

精神性の鍛練のみを重視し、肉体的には故障の原因となる、

過度なトレーニング・練習の強要などがよく見られました。

 

逆のパターンだと、学歴にコンプレックスを持つ方が自身の子どもに、

同じ思いをさせたくないからと、子どもに過度に学歴を求めるパターン

なども、生存性バイアスが一つの原因だとも言われています。

 

この思考から抜ける場合、自身がこの思考で失敗を重ねるか、

客観的な見直しで心理作用に気づくしかないのですが、

いずれにしても、非常に時間がかかると思われます。

後者のパターンで、何とか早い改革が望まれます。

 

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